弁論を読む

<優勝> 一歩ずつ前へ

中部地区代表
岐阜県立岐阜盲学校 中学部3年
古田 桃香(14)

私は小学6年生の時、地元の合唱団に入団しました。3歳から大学生まで100人以上の団員がいて、ダンスやミュージカルもしています。団員のみんなは表情豊かで、歌もダンスもうまく、いつも積極的で、「私も早くこんな風になりたい」と思っていました。しかし実際には、視覚障害のせいでみんなと同じようにできない事がたくさんありました。振り付けが見えなかったり、隊形移動で段差を踏み外したり、みんながどこにいるか見えず集合に遅れたりと、うまくいかないことの連続でした。同年代の子が自分からレッスンの準備をしていても、私はどこに手が足りていないか分からず、キョロキョロしているだけ。そんな様子を見て、私だけ他の団体との共演を断られたこともありました。できない事を指摘されても、見え方は変えられないため、どうすることもできませんでした。次第に「障害がある私は、何をやっても駄目なんだ」と、自信をなくしていきました。

また当時の私は、みんなに比べて何が見えず、何ができないのかよく分かりませんでした。そのため、助けてもらう必要性に気付いていなかったのです。助けてほしい時も、「なんで見えへんの?」「面倒くさい子やな」と思われるのが怖く、伝えることができませんでした。

そんな時、定期演奏会のミュージカルのキャストオーディションがありました。「サウンド・オブ・ミュージック」の修道女役を、中高生20数人の中から6人選ぶものです。台詞がメインの修道女役は、台本をもらった時から演じたかった役でした。人前で話す事が得意だった私にとって、台詞は唯一自信を持てるものだったからです。とはいえ、「きっとまた、障害が理由で選ばれないんだろうな」と思っていました。しかし、結果はなんと合格。「演技を認められたんだ。憧れの役を演じられるんだ」。視界がぱっと明るくなりました。しかし、いざ練習が始まると、周りの演技が見えない上、他の修道女役は全員先輩。いつも足を引っ張ってしまい、申し訳なさでいっぱいでした。再び自信をなくし、台詞もうまく話せなくなりました。

そんな状況で、東京の先生による演技指導を迎えました。私は、「遠くからの指示が見えず対応できなかったらどうしよう」と、とても不安でした。しかしその先生は、私の目の前まで来てくださり、変更する動作を近くで見せてくださったのです。みんなと同じペースで対応でき、とても安心しました。「みんなは遠くから、私は目の前からの指示で、やっと同じように理解できるんだ」、そう思った瞬間、助けてもらう必要性に気づきました。「面倒くさい子だと思われるなんて、考えてちゃ駄目だ。助けてほしいと自分から伝えないと、一歩踏み出さないと」

それからの私は、分からない事や困っている事を素直に伝えるようになりました。

「段差が見えないから、腕持ってもいい?」と聞くと、「いいよ」「こういう風でいい?」など、私が想像していた以上に、みんなが優しく接してくれました。小さな一歩を積み重ねるうちに、伝えることに抵抗がなくなり、安心してレッスンができるようになりました。さらに、集合する時に声をかけてくれたり、私にできる係りを勧めてくれたり、みんなから気にかけてもらえることも増えました。そんな時は、必ず「ありがとう」を伝え、教えてもらったことはその場でしっかり覚えるよう心がけています。みんなのおかげでできることが増え、自信が持てました。何事にも前向きに取り組めるようになり、やっと団員になれた気がしました。

念願の役を得た定期演奏会では、立ち位置を教えてもらったり、マイクをつけるのを手伝ってもらったりし、みんなのおかげで安心して本番に臨めました。自信をもって役を演じきり、大きな拍手をもらえた時は、「今まで頑張ってきて本当に良かった」と思えました。達成感であふれ、しばらく号泣しました。

さて、現在私は、一般校への進学を目指し、同級生と共に合唱団を休団しています。「一般校という健常者ばかりの環境に行けば、大変なこともたくさんあるだろうな」と、正直不安です。しかし、分からないことや困っていることを素直に伝えれば、自分のことを知ってもらえる。小さな一歩を積み重れば、それはやがて大きな進歩になる。勇気をもって進みたい。一歩ずつ前へ。

<準優勝> 私にとってのバリアバリュー

近畿地区代表
大阪府立大阪北視覚支援学校 高等部専攻科保健理療科3年
村木 正靖(61)

2007年10月、当時出張の多かった私は「白杖をつかないと危ないですよ」と医師から告げられ、身体障害者手帳2級の交付とともに白杖をつくこととなりました。

「白杖をついている私を見て、他人はどう思うのだろうか」

「仕事の上で影響はあるまいか」

不安な気持ち、暗くなる気持ちと消極的になる思いを払拭するために、私は白杖を左右に振る度に「嬉し・楽し・ありが・とう」と心の中で唱えることにしました。

あれから10余年、もう10万回以上はおまじないのようにつぶやいてきたと思います。絵の具を洗ったあとの真っ黒な水がいっぱい入ったバケツに、きれいな水を一滴ずつ落として、やがてバケツの水が全てきれいになるかのように暗く沈んだ私の心の池の中に、澄んだ水を一滴ずつ落としてきました。それは正に自己暗示であり、潜在意識のおそうじでした。

物事には常に明るく良い面と暗く悪い面とが同時に存在しているのだと思うのです。私はできるだけ明るく良い面だけを見て行こうと思いました。

私の目の病気は網膜色素変性症です。少しずつ、視力を失う病気です。ついに昨年末には拡大読書器を使っても字を思うように書けなくなりました。点字を使って試験を受けなければならなくなりました。

「この年から点字を覚えるなんて、ああ、面倒くさい」

また、消極的な暗い心が頭を持ち上げて来ました。

「嬉し・楽し・ありがとう」

「せっかく視覚支援学校にきたのだから、点字をマスターしてみよう」

そして新しい扉が開きました。視覚障害者になったからこそ、点字を勉強する機会を与えられたのです。そう思うと毎日の練習が楽しくなってきました。

「ありがとう」は不思議な言葉です。1年の時、あんまの時間に毎日、母指たてをさせられました。一人が1から10まで数えて、それを5人6人と回して続けて行くのです。指の痛みだけでなく、体全体がきついものでした。みんなも同じ思いなのか、毎回母指たての時間は教室に重だるい空気が流れていました。

ある日、私の番が来て、10を数える代わりに、ありがとうを二度、唱えてみました。

「あー、りー、がー、とー、うー」

2回唱えて、10を数えた事になります。教室の空気がぱっと変わりました。みんなの笑い声が聞こえて来ました。先生も笑っていました。苦中楽あり。苦しみを楽しみに変える言葉なのでしょう。

白杖をついて毎日学校に通っていると、いつも誰かに声をかけられます。

「お手伝いしましょうか」「席が空いていますよ」

「街にはこんなに親切な人がたくさんいたのだ」と、目が不自由になって初めて気が付きました。翻って、自分の事を思うと、私は今までどれだけ人に親切にしてきたでしょうか。視覚障害者になったからこそ、気付きを得ることができたのです。

私は少しずつ見えなくなってくるとともに、今まで積み上げてきたものを一つずつ手放すこととなりました。しかし一つ手放すごとに、新しい道が開けてきたように思えるのです。手放したからこそ、視覚障害者としての人生の扉が開いてきたのです。そして私にとって新しい分野の勉強をする機会を頂きました。新たな人生への挑戦です。人生二度楽しめるなんて幸運じゃないですか。

私の知らなかった世界を教えていただいている先生方にありがとう。

街で気軽に声を掛けて下さる多くの方々にありがとう。

目が不自由になったからこそ、私の前に開けた道。あんま、マッサージを通じて人に喜んでもらえる道。

「バリアバリュー」という言葉があります。私にこのような道を示してくれたこの目に、心からありがとうと言えた時、霞みゆくこの目に、ありがとうと言えた時、私にとってのバリアがバリューに変わるのではないでしょうか。

今まで頑張ってくれたこの目に、ありがとう。

嬉し、楽し、ありがとう。

<3位> 僕の進化の秘密

東北地区代表
宮城県立視覚支援学校 高等部普通科3年
髙橋 翔太(18)

「恥を捨てた方がいいよ。声を出さない方が恥ずかしいよ」

この言葉は、昨年度、職場実習でお世話になった店長が私にかけてくださった言葉です。この言葉で、私は、進化することができました。この言葉のおかげで、私は職場実習でコミュニケーションの大切さを学び、そこから大きな自信を得ることができました。

職場実習の前までの私は、コミュニケーションとは、ただ話をすることだと思っていました。自分に自信を持つことができず、先生方に質問されたときには、その質問に上手に答えることができなかったり、話合いの時には、自分の発言に戸惑いがあったりしました。そしてそれを隠すように変に意地を張ったり、虚勢を張ったりすることもありました。今考えてみると、自分のことしか考えることができなかったのだと思います。

そのような私が、初めて行った職場実習。初日は、緊張と不安で、ビクビクしていました。前日の夜は、眠れなかったほどです。実習先の制服であるエプロンを着ると、更に緊張が高まりました。

最初に教わったことは、あいさつでした。「いらっしゃいませ」「ありがとうござました」。この言葉は、職場実習に行く前から基本だとわかっていました。ですが、私は、大きな声を出すことはできませんでした。他の従業員の方々と比べものにならないほど、いや、比べること自体が失礼なほど声を出すことはできませんでした。

初日は誰にも話しかけられないように下を向いてばかりで、商品の陳列や掃除など言われたことをなんとかこなすだけでした。お客さんに話しかけられても「はい…」と返事をすることで精いっぱいで、目を合わせて話をすることなどできませんでした。学校の先生が実習先に様子を見に来たときには、恥ずかしいから見ないでほしいという気持ちでいっぱいでした。時間が過ぎるのが遅く、1日がとても長く感じ、早く終わらないかなと時計ばかり気にして過ごしました。周りと比べて自分がこんなにできないのかと悔しくて涙が出そうになりながら初日を終え、帰ろうとしたとき、店長が、「恥を捨てた方がいいよ。声を出さない方が恥ずかしいよ」と、優しく声をかけてくださいました。

帰り道、この店長の言葉が頭の中で何回も再生されました。

そして私は決めました。「恥ずかしがってちゃだめだ!明日から変わろう!」と。

2日目の朝、私はまず、従業員の方々とのコミュニケーションが大切だと思い、勇気を出して大きな声で従業員の皆さんにあいさつをしました。

「おはようございます!」

すると、従業員の方々も「おはよう」と明るくあいさつを返してくださいました。

その後は、不思議なことに、従業員の方々に積極的に話しかけることができるようになり、従業員の方々に混じって会話ができるようになりました。会話をしているときは、友達や家族と話している時とは違う、別の楽しさを感じました。仕事でわからないことも聞くことができるようになり、仕事が楽しいと思えるようになりました。自然に「いらっしゃいませ」「ありがとうござました」と大きな声を出せるようになり、お客さんとの会話も上手にできるようになっていました。

その時気づかされました。当たり前のことかもしれませんが、互いのことを何も知らないということが一番怖いことだと。そして、互いのことを知り、互いが安心できる関係を作ることがコミュニケーションなのだと。

実習2日目以降の私は、従業員の方々に「笑顔で元気に挨拶しているね」と声をかけてもらったり、お客さんに「元気だねぇ」と声をかけてもらえるようになっていました。

従業員の方々やお客さんにかけていただいた言葉の中で一番うれしかったものは「ありがとう」でした。この言葉にたくさん元気をいただいたので、私も元気を与えられるように更に頑張りました。

最終日、学校の先生や母親が実習先に様子を見に来たときには、笑顔を見せることができるようになっていました。この職場実習という体験をしたことは、私の中で大きな自信となりました。

そして、この自信は、私の学校生活も大きく変えました。話し相手の目を見て、話をすることができるようになりました。言葉遣いも変わりました。どんな言葉で話せば正しく伝わるか、相手を傷つけないかなどを考えて話をすることができるようになりました。難しいと思って避けていた生徒会役員にも自分から進んで加わることができ、話合いでも自分の意見に、自信をもって発言することができるようになりました。

高校3年生となり、現在私は、接客業に就きたいと考えています。そのため、今年度も職場実習を行います。そこでも、たくさんのことを吸収し、さらに進化していきたいと思います。

そう! 夢を叶えるために!!

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