文化貢献活動

大阪府立中之島図書館

大阪府立中之島図書館外観
大阪府立中之島図書館外観
記念室に飾られている住友友純の銅版レリーフ
記念室に飾られている住友友純の銅版レリーフ

明治37年(1904年)2月、住友の寄贈になる「大阪図書館」(当時の名称)が 完成、開館しました。石造り三層、銅葺きのドームがそびえる重厚な建物で、建築を担当したのは、住友臨時建築部の少壮気鋭の建築家野口孫市(技師長)と日高胖(技師)。

住友家第15代住友吉左衞門友純(ともいと)は、江戸時代以来住友の事業が大阪を本拠に続けてこれた感謝のしるしとして、この図書館建物と図書購入資金を寄贈したのです。
さらに、本館が手狭になったため、大正11年(1922年)左右両翼部分を増築寄贈し、ここに今に見る「府立中之島図書館」が完成しました。

この建物は明治の名建築として、昭和49年(1974年)国の重要文化財の指定を受けました。
完成後約100年を経て、なお現役の図書館は、静かで便利な立地条件も手伝って、 研究者や本を愛する人たちに親しまれています。

大阪府立中之島図書館ホームページ
http://www.library.pref.osaka.jp/site/nakato/

大阪市に市立美術館用地を寄贈

慶沢園から美術館を望む
慶沢園から美術館を望む

天王寺の美術館として浪花っ子に親しまれている「大阪市立美術館」の茶臼山一帯には、もとは住友家の本邸がありました。大正10年、住友家第15代住友吉左衞門友純(ともいと)は、この約6ヘクタールの敷地をそっくり「大阪市立美術館」の用地として寄贈することを申し出ました。大阪市では、その前年に議会で市立美術館の設立を議決しましたが、肝心の用地が決まらず難航していたのです。

上村松園「晩秋」
上村松園「晩秋」

用地寄贈を受けて、早速、美術館建設がはじまりましたが、財政不足、世界恐慌、室戸台風などの障害に見舞われ、完成は17年後の昭和11年(1936年)。
以来60年余り、今は館蔵美術品が約8000件、社寺や個人からの寄託美術品が約7000件、中国と日本の美術品に特色のある美術館として高く評価されています。
昭和19年に住友家から寄贈された20点の日本画は上村松園、小野竹喬など、当時の関西邦画壇の代表作家の作品で、「住友コレクション」として同館の日本画の中核をなしています。

また、美術館の東側に広がる日本庭園「慶沢園(けいたくえん)」は住友家が約10年の歳月をかけて完成させた「林泉式回遊庭園」(設計・施工、小川治兵衛)で、大阪随一の日本庭園とも言われ、平成11年度に「大阪市指定文化財」に指定されています。

大阪市立東洋陶磁美術館

昭和50年(1975年)、旧安宅産業株式会社が経営危機・信用不安に陥り、同社が収集したいわゆる「安宅コレクション」のゆくえに大きな関心が集まりました。

国宝・重要文化財を含む965件の東洋陶磁を中心とするコレクションは、世界第一級のもので、散逸したり、海外に流失したりすることの無いよう、文化庁からもこれに対応していた住友銀行に異例の要望が出されました。

住友グループ(当時21社)では、昭和55年(1980年)文化貢献事業として、大阪市にこのコレクションの一括寄贈を申し入れました。

これを受けて、大阪市では中之島公園に美術館を建設。昭和52年(1982年)に、世界でも数少ない東洋陶磁の専門美術館が誕生しました。

ゆくえが心配された文化遺産は、こうして公共の文化財として理想的なかたちに生まれ変わったのです。

大阪市立東洋陶磁美術館外観
大阪市立東洋陶磁美術館外観
国宝「飛青磁花生」
国宝「飛青磁花生」

皇居前広場の楠公銅像を献納

楠公(なんこう)銅像
楠公(なんこう)銅像

皇居外苑の一角に楠木正成(くすのきまさしげ)の騎馬銅像がそびえています。明治23年(1890年)の別子銅山200年祭を記念して、住友が献納したものです。

正成の体格容貌をどうするか、馬はどの産地の特長をもたせるか、などの考証に苦労しました。

さらに、当時の日本にはこれほど大きく、いろいろな付属品のある銅像を鋳造する技術は無く、アメリカまで出張して大作を見物し「分解鋳造」の方法を悟ったなどのエピソードもあり、完成建立は明治33年(1900年)でした。

住友財団の取り組みについては、下記をご覧ください。

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