住友の故郷を訪ねる旅現代に息づく住友の精神

住友グループの母なる山、別子銅山。この山を擁する愛媛県・新居浜市を訪ね、今も息づく「先人たちの思い」と「地域社会との絆」を紹介します。住友の故郷に今も残る産業遺産が、今日の環境・社会・経済にどんな価値をもたらしたかを、動画ならではの臨場感で6回にわたりお伝えします。

語り手:住友史料館 研究顧問 末岡照啓
ナビゲーター:フリーアナウンサー 野村沙綾
協力・資料提供:愛媛県新居浜市、広瀬歴史記念館、別子銅山記念館、住友化学歴史資料館、住友史料館

第1回 母なる山、別子銅山の誕生

元禄4年(1691年)の開坑以来、別子銅山は良好な採掘条件もあって急速に発展しました。
過酷な自然環境に負けず、初期の繫栄を築いた先人たちの足跡をたどります。

第2回 別子近代化の曙

明治時代に入り、殖産興業を掲げる政府の意を受け、住友は別子銅山の近代化を決断しました。
初代総理事・広瀬宰平の指揮の下、わずか10数年の間に別子銅山は急速な近代化を成し遂げます。

第3回 煙害と水害に向き合う真摯な姿勢

採掘、製錬でいち早く近代化を達成した別子銅山は、環境保護施策においても先進的でした。
鉱山活動で荒廃した別子に自然を取り戻すために奮闘した先人たちの姿に迫ります。

第4回 電気の時代の到来と環境への眼差し

伊庭貞剛、鈴木馬左也の命により端出場に発電所が作られ、別子銅山はますます発展します。
それに伴い発生した公害に対処する際も、規範となったのは住友の事業理念でした。

第5回 新居浜にみる地域との共生

鉱山業から派生した産業の拠点施設が築かれ、賑わいを増す新居浜。
そんな中、別子銅山最高責任者の鷲尾勘解治は鉱山なき後を見据えた町づくりに着手します。

第6回 近代化産業遺産が語りかけるもの

現在、別子銅山はその役目を終えて静かな眠りについています。
この地に残る近代化産業遺産は、先人たちが築いた豊かさを次の世代につなぐことの大切さを私たちに教えてくれます。

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