「親共有之身分之者は、当家之風俗懇望ニ而、勤も為致、能き人ニ成行候事頼ニ可存所」
親どもこれある身分の者は、当家の風俗懇望にて、務めもいたさせ、よき人になりゆき候こと頼りに存ずべきところ

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1824年、友聞が書いた「江戸店諭示書」。傍線部が語録に該当する箇所。
写真提供:住友史料館

1824年、住友家第9代・友聞が書いた「江戸店諭示書」の一部である。

「最近、若い店員(社員)が不行儀である。管理職がきちんと管理をしていないことが問題だと聞いている。若い者が悪い遊びを覚えて問題を起こした場合は、容赦なく叱りなさい。かわいそうだと思い、放っておいたら、その者はいよいよ学ぶ機会を失ってしまう。“叱る”ことが主家の慈悲だと気づいていない。(中略)江戸の町の子どもを持った親たちは、住友家の家風が非常によいので、子どもたちを住友へ務めさせたいという人が多かった。人格の優れた有能な“よき人”に育ててくれると頼りにされているのだ。もし他人のそしりを受けるような不埒な者が出た場合は、管理職の責任は免れない」と説いた。

この友聞の言葉の背景には、当時の住友家の状況が関係している。1807年に友聞が当主を継ぐ前に、2代続いて主人が亡くなり、傾き掛けた住友家の立て直しが必要だったのだ。江戸初期から続く家格と名誉を保つために、管理職クラスの店員(社員)へ向け、「住友家で働くプライドを持って、人を育てるべし」と鼓舞激励したのだ。

住友家第9代 吉次郎友聞(きちじろう ともひろ)
1787~1853年
住友家第9代当主。石清水八幡官の社家に生まれ、京都の扇師・岡村家の養子となったが、1807年に住友家に入り、家督を継いだ。岡村家は3代・友信の三男・正以の養家である。通称・吉次郎、のち甚兵衛と称した。1825年には銅山御用達の肩書と、住友の苗字使用を幕府から公許された。また社家出身のため、和歌・国学に造詣が深かった。

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