「焼鳥に へを御あんし候へく候」
やきどりに へをごあんじそうろうべくそうろう

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  • # 住友の事業精神
当時、友信が友栄(芳)に宛てて記した書状。傍線部が語録に該当する箇所。
写真提供:住友史料館

1702年頃、住友家第4代・ともよし(芳)は、勘定奉行・荻原重秀より、江戸幕府の財政難を緩和させるために、「産銅増進の具体策」を求められた。これを好機と捉えた友芳は、銅の増産を図るため、産銅業者が採掘しやすい基盤を整えよう、そのために幕府の力を借りようと、5つの提案をする。

①別子銅山の涌水排出費を削減するために標高の低い立川銅山側へ排水坑道を拓く。②新居浜浦へ新たな物資運搬路を開設する。③坑内の支柱や製錬燃料として、最寄りの旗本一柳領の山林を利用する。④別子銅山の永代経営権を保障する。⑤経営資金の借用願い。

以上5つの項目は、いずれも経費節減策と経営の助成願いである。この重要な交渉を前に、当時隠居の身であった第3代・友信が、嫡男の友栄と番頭の五兵衛宛に手紙を送り、幕府との交渉の際の心構えを説いたのが、上の言葉である。

その意味は、「焼いた鳥は絶対に飛ばないが、それでも飛ぶことがあるかもしれぬと、鳥の足にへを(捉緒)をつけるがごとく、念には念を入れなさい。慎重に慎重を重ねて交渉するべきだ」というもの。

ひとたび失敗すれば、別子銅山そのものを幕府に取り上げられかねない重要な交渉だっただけに、住友の事業精神でもある「信用を重んじ、確実を旨とする」を改めて息子に伝えたのだ。

このように「信用・確実」の教えは、江戸時代から脈々と受け継がれる、住友の事業精神である。いつの時代もビジネスは「信用」を土台に、交渉の詰めを確実なものにして、念には念を入れる仕事をしなければいけないということだ。

住友家第3代 吉左衛門友信(きちざえもん とものぶ)
1647~1706年
通称吉左衛門、隠居して甚兵衛と称した。この時代は日本の銅鉱業・銅貿易の発展期にあたり、住友も銅製錬から鉱山業へと進出。備中吉岡銅山の稼行によって地歩をかためた。1685年、京都に隠居後も、若年の4代目住友当主・友芳を後見して家業を指導。また、和歌・狂歌・絵画・茶道などをたしなんだ。

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