責任感の強い技師
大正3年(1914)1月、海軍の汚職事件「シーメンス事件」が起こったが、住友からは一人の逮捕者も出さなかった。古田は親しい友人に「住友がこれほどの所とは知らなかった。自分は住友の人間であることに、高い誇りと大きな責任を感じる」と語っている。
同7年3月、古田は伸銅場製造課主任(課長)となり、航空機の新素材のジュラルミン研究に没頭していた。同11年11月、安治川工場でジュラルミンの焼き入れ炉が爆発し、死傷者を出した。検事は、その責任の所在を明らかにするため古田を取り調べたが、古田は「いっさいは、製造課長の職にある自分の責任である」といいきり、上司や部下へ責任を転嫁しなかった。検事は調査の結果、不可抗力として古田を不起訴処分としたが、その理由に「ジュラルミン製造が日本最初の難事業であったこと、古田氏の態度が立派だったこと」などをあげている。 |
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住友伸銅場の製管工場(明治43年頃)
住友史料館提供 安治川の製管工場内部、写真左手にフード付のシュワルツ式回転炉があり、その右手にパイプが並んでいる。 |
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住友伸銅所事務所
(大正6年 安治川)
住友史料館提供
モダンな洋館であった。
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