明治28(1895)年3月、宰平は重責を全うした者の責務として、自伝『半世物語』を刊行し、後進の戒めとした。この本は現在もなお、すぐれた「企業者自伝」の草分けとして評価されている。
明治30年(1897)以降、宰平は須磨に隠棲したが、広瀬本邸のある新居浜ではなく、この地を選んだのは、家長友純の家族が須磨別邸に生活することになっていたからである。終生住友家の番頭をもって任じた「臣宰平」の面目躍如たるところであろう。須磨での宰平は、読書に書写・義太夫と悠々自適の生活を送った。たまに孫や曾孫が遊びに来ると、沖合の大阪商船の船影を見つけ、自らが考案した商船マークを見るよう望遠鏡を手渡すのであった。
大正3(1914)年1月31日、宰平は須磨で87年の生涯を終えた。遺骸は、ゆかりの大阪・新居浜・近江八幡の墓所に分骨埋葬された。 |
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広瀬宰平の自伝『半世物語』。
1895年刊行。
序文は西園寺公望と住友友純による。 写真提供 住友史料館 |
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