「地中にて 働くことは 慣れながら 皆大山祇(おおやまづみ)に 禮(いや)して這入(はいい)る」

  • # 住友の事業精神
第四通洞の坑口。坑口の上に「大山祇」の神が祀られている。
写真提供:広瀬歴史記念館

歌人や作家として知られる川田順は、昭和11(1936)年まで住友合資会社の理事を務めた。この歌は、昭和30(1955)年、旧友の鷲尾勘解治(わしお かげじ)とともに、別子銅山を訪れた時に詠んだものだ。

ここで川田は、ある光景に引き付けられた。当時、別子銅山開発の大動脈として機能していた第四通洞。そのトンネルの入り口の上部に小さな祠がある。坑内での安全を祈る「大山祇」の神だ。トロッコに乗り坑内へと向かう坑夫たちが、ここを通過する時、皆この祠に目礼し、拝んでいたのだ。

何年、何十年と通いつめた坑内での仕事であっても、毎度厳かな気持ちで挑む。その敬虔な坑夫たちの姿に、安全に職務を全うしようとする姿勢と、「山」に対する畏敬の念を読み取った。この歌には、そんな坑夫たちに対する感謝の気持ちが込められている。

川田 順(かわだ じゅん)
1882~1966年
明治15(1882)年、東京に生まれる。東京帝国大学法科卒業後、明治40(1907)年に住友総本店に入社。実業人として活躍し、昭和11(1936)年、常務理事で退社。歌集「伎芸天」「陽炎」「山海経」などにより浪漫的抒情の密度の濃い作品を残す。

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