「萬事入精」
ばんじにっせい

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住友政友像

住友家初代・住友政友が晩年に遺した言葉。手代の勘十郎にあてて商人の心得を示した書簡「文殊院旨意書」の冒頭に記されている。「商事は言うに及ばず候へ共、萬事精に入れられるべく候(商売はいうまでもないが、何事も粗略にせず、すべてのことについて心を込めて丁寧慎重に励むように)」と、商売人である前に誠実と努力を重んじ、人として人格を磨くことを説いている。

この一文に続いて、文殊院旨意書には「相場より安いものが持ち込まれても、出所がわからないものは盗品と心得よ」「誰であろうと宿を貸したり、物を預かったりするな」「他人の仲介や保証はするな」「掛け売り、掛け買いはするな」という当時の商売における具体的な注意事項が示され、最後に「他人がどのようなことを言っても短気になって言い争うようなことはせずに、繰り返し詳しく説明するように」と、人と接する際の心構えが記されている。

文殊院旨意書

薬屋と本屋を営んだ政友だが、幼いころから僧籍に入り修行を受け、市井の僧侶として人々に教えを説きつづけた。そのような政友だからこそ、商売の心得や商人としてのあり方の前に、まずひとりの人間として社会に通用する誠実さと優れた人格を求めた。ただ金儲けに走ることなく、人間を磨き立派な人格を醸成するよう説いたのである。政友の姿勢と教訓は、住友の伝統として現代に受け継がれており、「浮利を追わない」「法令順守」「信用・確実」といった住友の事業精神の根幹を成している。

住友 政友(すみとも まさとも)
1585~1652年
天正13(1585)年に越前国(福井県)丸岡に生まれ、12歳のころ京に上ったと伝える。新興の涅槃宗(ねはんしゅう)の開祖・空源(くうげん)に弟子入りして修行し、文殊院嘉休(もんじゅいんかきゅう)の法号を得るが、45歳のころに僧籍を離れる。その後、薬屋と本屋(出版業)を営み、63歳で嵯峨清凉寺のそばに庵を建てて隠棲。慶安5(1652)年に68歳で亡くなった。僧籍を離れた後も政友を慕って教えを請うた人は多く、そのような人々にあててしたためた「文殊院旨意書(もんじゅいんしいがき)」「遺戒(いかい)」など多くの書簡が遺されており、政友の教えは長く住友グループに受け継がれている。

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