21世紀は、経済のグローバル・スタンダード化や、地球規模の環境問題が大きな課題となっています。経済発展と自然環境の調和が世界的に問われているのです。今からおよそ100年前、四国の別子銅山(現、愛媛県新居浜市)において、この問題に真正面から取り組んだ明治変革期の実業家がいました。それが広瀬宰平と伊庭貞剛です。2人は共に滋賀県出身で叔父・甥の間柄でした。
明治維新の動乱期、後に初代住友総理事となる広瀬宰平は、新政府の土佐藩に接収された別子銅山の経営権の維持を新政府に認めさせました。さらに住友家重役の経営難を理由とした銅山売却案を阻止し、積極的な西洋技術の導入により別子銅山を近代化、住友の経営を盤石にしました。広瀬は、「問はんと欲す国家経済のこと」と宣言し、実業の世界から国家の発展を希求したのです。別子銅山の近代化は、19世紀の欧米化の荒波に対し、わが国の実業界が産業革命に成功した輝かしい歴史の1こまでした。
しかし、19世紀末における別子銅山の急激な近代化は、燃料や用材確保のため山林の濫伐を引き起こし、山麓の新居浜に林立した製錬所から排出される亜硫酸ガスは煙害となって、森林や農作物に被害をもたらしました。このとき敢然と立ち上がったのが、後の2代住友総理事伊庭貞剛でした。伊庭は、裁判官出身の異色の実業家であり、「君子財を愛す、これを取るに道あり」を座右の銘としていました。企業は利益を使命とするので、正々堂々と利益を追求すればよい。しかし、それは人の道にそって行うべきだという意味です。彼は、煙害問題を単なる損害賠償という一時しのぎの方策で解決するのではなく、製錬所そのものを新居浜沖合20キロ、瀬戸内海の無人島「四阪島」へ移転することにより、根本的に解決しようとしたのです。一方荒れ果てた別子の山々には、毎年100万本を超える植林を敢行し、元の青々とした山林に戻しました。今日のCSR(企業の社会的責任)の観点からは当然のことですが、それを100年前に淡々と行ったのでした。ただし、煙害問題そのものは解決までにその後34年の歳月を要しましたが、その間伊庭の遺志が受け継がれ、脱硫装置という技術の力でこれを克服することができました。2005年は、その四阪島製錬所の操業が開始されて100年目に当たります。
本企画展ではこの機会に、産業と自然との調和、企業の社会的責任など今日的テーマを考えるにあたり、明治の変革期に活躍した広瀬宰平と伊庭貞剛の思想と行動を紹介し、その足跡をたどるものです。
| 主な展示作品(展示品は、各館共通ですが各々ゆかりの品を展示しました。) |
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世界における日本の銅 |
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・江戸時代、日本最大の輸出品であった棹銅
・棹銅から作られた東アジアの銅貨
・大坂の住友銅製錬所を訪れたオランダ人への接待用品(クレーパイプ、燭台、カップ、絵画など) |
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広瀬宰平関連作品 |
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大ばく(マイントピア別子)、若杉五十八「西洋人物画」(住友史料館)、棹銅(同)、東アジアの銅銭(泉屋博古館) |
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広瀬宰平関連作品 |
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広瀬の生い立ちと別子銅山の近代化産業革命を物語る品々 |
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伊庭貞剛関連作品 |
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伊庭の生い立ちと別子銅山の環境対策とCSRを物語る品々 |
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住友ゆかりの美術品 |
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住友家と経営者の信頼関係を物語る美術品 |
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広瀬邸・活機園関連資料 |
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国の重要文化財である広瀬邸(新居浜市)と活機園(大津市)の写真と建築資料 |
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別子銅山の産業遺産関連写真資料 |
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別子銅山の近代化を物語るIndustrial Heritageの写真 |
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| 住友家正月床飾り(住友史料館所蔵) |
| 住友家では、正月の床の間に別子銅山の小ばく(ルビ こばく)(銅鉱石)・吹炭(燃料)・床尻銅(ルビ とこじりどう)を飾り、事業の発展を願ってきた。床尻銅は、元禄4年(1691)の最初の精錬銅。 |
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