大好きなバイクに囲まれて、本当に幸せな時間でした。
当時、私はカワサキのZと言うバイクの専門店で、チーフメカニックとして働いていました。私は、このバイクの整備に関しては、誰にも負けない自信がありました。
オレがさわればどんな状態でもカンペキに整備出来る! と自分に酔いしれ、自惚(うぬぼ)れていました。
そんなある日、先輩や友人達と、酒を飲む機会がありました。自分の自惚れにどっぷりと浸(つ)かっていた私は、先輩にタメ口を聞き、後輩には抑圧的に会話をしていました。
そんな時、突然、後輩の1人が言ったのです。
「お前、何様なんだ! 年上の人を呼び捨てにしてんじゃねぇ! ちょっと仕事出来るようになったからって、のぼせ上がってんじゃねぇよ! お前、バカか!」
その後輩は、涙を流していました。
私の自惚れた天狗(てんぐ)の鼻は、根元からへし折られたのです。
私の心は、とてつもなく乱れました。
しかし、その時はどうすればいいか分かりませんでした。
悩み続けて、3カ月ほどたったころ、あの事故が起きてしまったのです。
真っ暗の中、聞き覚えのある声に目覚めました。それは、まぎれもなく兄貴の声でした。訳が分からなかった。ここは東京なのに、なぜ田舎の熊本にいる兄貴の声がするのか。
私は、バイクで事故を起こし、病院の集中治療室にいたのです。
麻酔を打たれているせいか、記憶はとぎれとぎれでしたが、体が動かない、節々が痛い、しゃべりたくてもしゃべれない。
私は、骨盤を4カ所骨折し、その衝撃により動脈が裂け、出血多量のショック状態で運ばれていたそうです。顔面は甚だしく砕けていました。アゴも折れていました。眼球は衝撃により破裂し、先生は両目とも摘出した方がいいと言ったのですが、おふくろと兄貴が止めてくれたのでした。そこで先生は、両目合わせて60針以上も縫い合わせ残してくれたそうです。
そんな寝たきりのある日、先生が来て告げたのでした。
「あなたの目は、見えなくなりました」と。
果てしなく暗い奈落の底に落ちていく感覚を、今でも鮮明に覚えています。
人生の終わりだと思いました。
死のうと考えました。
しかし、動かない体で死ねるわけもないのです。
今から思えば、命を救ってくれたその場所で死のうなんて、これほどバカげてる事もないのに、当時は本気でした。
私のいた病室は、重症病棟でした。緊迫した事態が日常茶飯事のように起こり、医者や看護師たちが慌しく動き回っていました。
同室に、意識が無いであろうおじさんがいました。
その人の所に、毎日毎日同じ時間に娘さんらしい女性がきて、「パパ、パパ」と、呼びかけるのです。
「ねぇ、パパ起きて」
医者から声をかけるようにいわれているのかもしれないけれど、とにかくずっと、ずっと「パパ、パパ」と、時に涙を含ませ呼びかけていました。しかし、おじさんは返事を返す事はありませんでした。耳だけの世界の中で、気づけば私も「おじさん、起きてあげなよ。起きろよ。起きろ」と願っているのです。
私は、はっとしました。
死ぬことを考えていた私が、たまたま同室に居合わせたおじさんに、元気になってくれ! 死ぬんじゃない! と願っているのです。
少しずつ生きる希望が目覚めてきました。
目は見えなくなってしまったけれど、先生は他の所は、必ず治ると言ってくれました。私の命は助かったのです。
それから、私はリハビリに励みました。
そして、視覚障害者生活支援センターで日常生活の訓練を受け、いま八王子盲学校で勉強しています。
いまの私は、自惚れの固まりだったころと違い、人が支えあって、初めて生きていけることを知りました。私にとって、あの事故は視力を失うという、肉体的な最大かつ最悪の転機でした。しかし、同時に精神的な最大かつ最善の転機だったのかもしれない。
弱い私には、まだ本当にそうだと断言出来る自信と誇りがありません。しかし、いま学んでいる理療という技術を駆使し、多くの人と支えあいながら生きているということを実感する事が出来たとき、本当にあの転機が私の心の成長にとって最良の物だったと言える気がするのです。
それを夢に、1日1日を大切に生きていきたいと思います。 |