この春、私はある歌に出会いました。その歌とは、大阪市立盲学校校歌です。私にとって、小学校時代から数え、5度目の校歌。34歳にして、新たな校歌との出会いです。
23歳の4月よりサラリーマンとして働き始めた私は、入社して約半年が過ぎたころ、仕事で車を走行中、事故を起こしそうになりました。トンネル内の暗さに目が馴染まず、側壁に危うく衝突しそうになりました。私は翌日、病院に行き、医師から「網膜色素変性症」と告げられました。
しかし、私には実感がわきませんでした。次の一言を聞くまでは・・・・・・。
「車の運転は、今後やめて下さい」
「えっ、車の運転あかんの? 仕事、どうしよう」
私は焦りました。
「大好きな仕事ができなくなるかもしれない」
私は会社へ即、病気のことを正直に報告しました。すると会社は私に配慮下さり、営業職から内勤の事務職へ配置転換して下さいました。職種は変わっても、仕事は続けられる。会社にもとどまれることに、ホッと安心しました。
「よし、これからは定年まで事務職で頑張っていこう。配慮して下さった会社のためにも」。そう自身に誓い、日々仕事に励みました。
しかし、私が想像していた以上の速度で、病気は進行していきました。書類やパソコンの画面がだんだんと見えづらくなっていき、同僚や後輩たちがどんどん責任のある仕事を任されていくなかで、私はそれまでできていた仕事でさえ、思うようにはかどらなくなっていきました。
「この病気は、私から仕事までも奪い取ってしまうのか」
そのころからでしょうか。私はこの病気と真剣に向き合うようになりました。視覚障害者の集まりにも、参加するようになりました。そこで、あん摩・マッサージ・指圧・鍼灸の存在を知り、その仕事への思いを募らせていきました。
「確かに目は悪いが、自分には丈夫な腕、手、指がある。よし、盲学校へ入学し、あ・は・きの道を突き進もう!」
今年3月、私は11年間勤めてきた、大好きな会社を自ら退職しました。会社の方々と別れるさみしさ。会社に十分恩返しできなかった悔しさ。そして、何よりも、いったん「働くこと」から離れてしまうつらさで、その日は涙があふれ、止まりませんでした。しかし、いつまでも感傷に浸ることなく、さまざまな思いは胸の中にしまい込み、新たな希望を抱き、この春、大阪市立盲学校の門をくぐりました。
4月、入学式の日。「校歌斉唱」のアナウンスの後、曲が流れ始めました。
「大阪市盲の校歌は、どんなメロディー、歌詞なんかな?」
私は、じっと耳を澄ませました。そして、校歌が3番に差しかかった時、あるフレーズが私の心に響きました。そのフレーズとは、「働く喜び 実らせて」です。
「盲学校で、しっかりと、あん摩・マッサージ・指圧・鍼灸を学び、3年後、また必ず働きます!」
会社退職の日、上司、同僚、後輩の前で誓った言葉をハッと思い出しました。
私にとって「働くこと」「働けること」は常に喜び。その思いが校歌に歌われていたのです。
輝く歴史 大阪市盲
理想も高く 生きる日々
働く喜び 実らせて
雄々しく 飛び立て天空へ
自由と平和の 明日を拓く
今、ここにお伝えした校歌を聴くたび、歌うたびに、私は未来へ向かって羽ばたく勇気や希望が、沸々とわいてきます。
自分の思う通りいかず、壁にぶつかること、つらいこともこれから数多く出てくるでしょう。それらが自身の目の病によるものなのか、他のものであるのかは分かりませんが、そんな時、心の中で、また時には声に出して、自らを励まし鼓舞すべく、この校歌を歌いたい、歌っていきたいと思います。
「あん摩・マッサージ・指圧師、鍼灸師」として働ける、その日まで。
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