私は犬のような立派な耳が欲しいと少し前から思い続けています。まあ、欲を言えば犬の鼻も欲しいと思ったりします。なぜ、欲しいのかというと、バスや地下鉄の歩行訓練をした時、「ここは音によく注意して歩いてごらん」と言われ、音が聞き取りづらくて、「こんなときに、犬の耳があったらいいな」と思ったからです。
犬の聴力は人間の約3000から4000倍。人間には聞こえない超音波まで聞き取れ、さらに耳を動かす筋肉も私たちの2倍もあるので、より広い範囲の音を拾い集めることができます。こんな耳があれば、横を通る自転車や人、周りの建物の音が聞こえたり、遠くから誰かに呼ばれても、その人が誰で、どこにいるのかを把握できたりするかもしれません。超音波を聞けるようになったら、普段の生活に変化はあるのでしょうか。
また、鼻の力は人間の約100万倍。遠くからでも飼い主と知らない人とのにおいの区別をつけられるくらいですから、食事の材料やメニューなども簡単に知ることができると思います。そしてきっと、少しぐらい人がいても尋ねたい人をずばり探し出せることでしょう。
もちろんこれは想像した夢です。でも、日常のさまざまな場面をイメージして、「こんな時に、犬の耳や鼻があったら、どんな働きをするだろう」と考えてみるととても楽しくなります。いつか、どこかで、本物じゃなくてもいいから、似たような体験をしてみたいなと思っています。
犬の耳や鼻が人間よりもはるかに優れていることを知り、ますますそれにあこがれながら、私はいつのまにか感覚というものを意識し始めました。
私はいま、自宅近くを流れる豊平川の散歩に結構はまっています。父と兄と3人で約2時間も歩くのですが、遊歩道の幅が広いこともあり、そのほとんどを仲良く横一列に並んで歩きます。春は雪解けで増水した川の流れの音が聞こえ、初夏には水が減り、音が小さくなるとともに若草のにおいがしてきます。ついこのあいだも、父と石投げをして音で川の幅と深さを知ることができました。もう豊平川にもサケが戻ってきているそうですが、私はまだ秋の豊平川に行ったことがありません。木の葉の音が変わって、風が少しぴりぴりとしてきたら、秋を楽しみに出かけようと思います。きっとあの水際の木のにおいも違うと思うのです。
私たち視覚障害者は聴覚やきゅう覚など、自分の持っている感覚で、視覚の足りない部分を補っています。
点字は指先、点字ブロックは足の裏、音響・音声信号は耳、晩ご飯のにおいは鼻、風の強さや冷たさは顔や腕・・・・・・、雨が降る前には少し湿った雨のにおいを感じます。考えてみると日常には、本当にたくさんの感覚があふれているのだとあらためて気がついたのです。そして、そのひとつひとつの感覚を大切にして、いろんなことを知りたい、街に出てみたいと思い始めたのです。
こうした私の思いは、帰省の歩行訓練をとおしてさらに変化していきました。バスと地下鉄の約2時間の道のりは、私の歩行範囲を大きく広げながら、周りのことをもっと知りたいという願いとともに、人とのかかわり合いを大事にしたいという気持ちを生み出したのです。
訓練中、地下鉄の中でおばあさんと、その息子さんが障害者のボランティアをやっていることをきっかけに話が盛り上がったこと。バスターミナルにつながる長い階段を、若いお母さんが赤ちゃんとベビーカーを抱えながら誘導してくれたこと。バス停で乗る順番を先に譲ってくれたおばさん。地下鉄やバスで引きずりこまれるように誘導されてちょっと怖かったこと。よさこい祭りの期間中の訓練で、20人近くの人が声をかけてくれたこと。
これらの体験は、これまで手引きで歩いた時には得られなかったものです。
私はたくさんの方に感謝すると同時に温かく見守られていることを実感しました。そこには、これまでにはなかった積極的に人にかかわろうとする自分がいました。そして、いつかは自分の能力を生かして人のためになりたい、今はそんなに力はないけれど、困っている人がいたらできることは手伝いたいと真剣に考えるようになった自分もいたのです。私がこれから意識しなければならないことは、自分のことだけではなく、社会に目を向けていきながら自分の力を伸ばしていくことだと思うのです。
犬の耳や鼻はあこがれでもあり、夢でもありますが、これもひとつのきっかけになってこれから先、自分と社会がどうかかわっていくのかを考えてしまう私なのです。 |