「未来への鉱脈」産業遺産としての別子銅山

別子や新居浜市に残る産業遺産は、日本近代史を具体的に追体験できる貴重な場である。

愛媛県の別子山村や新居浜市には、たくさんの別子銅山関連の産業遺産が残っている。これらは、わが国の産業革命が果たした役割を雄弁に物語るモニュメントである。産業遺産は、英語で「インダストリアルヘリテッジ」(Industrial Heritage)と呼ばれ、イギリスをはじめとする欧米諸国では、自分の国の成り立ちや発展を追体験するモニュメントとして大切に保存・活用されている。わが国でもようやく十数年前から産業遺産の調査・研究が始まったが、わずか100年あまりで近代化を達成したわが国の産業遺産は、世界史的にも注目される。

世界的にもまれな産業遺産

東平の索道基地跡
鉱石を運搬した東平(とうなる)の索道基地跡(1905年竣工)。
写真提供 新居浜市広瀬歴史記念館

なかでも、1691(元禄4)年、住友家が開坑した別子銅山は、1973(昭和48)年の閉山までおよそ300年間、住友家およびその関係企業が一貫して経営を続けてきた世界的にまれな鉱山である。そのため、ひとつの経営理念に基づいた産業遺産が、四国山脈の海抜1300メートルの別子山上から、瀬戸内海の海上はるか20キロメートルの四阪島まで、時間と空間を超えて広く点在している。
明治維新時、欧米列強の植民地支配に対峙するため、初代住友総理人(後の総理事)広瀬宰平(1828年から1914年)は別子銅山の近代化を決断する。フランス人技師を雇い、その設計書に基づいて日本人だけの力で近代的な坑道を掘り、蒸気巻き上げ機を設置、新居浜には近代製錬所と港湾設備を建設し、その間に索道や鉄道を敷設した。

やがて第2代総理事伊庭貞剛(1847年から1926年)や第3代鈴木馬左也(1861年から1922年)の時代に、製錬や蒸気機関エネルギーの転換から石炭・電力事業が興り、鉱山の銅製品から電線・伸銅業が派生した。鉱山の機械修理・製作部門から機械工業が、鉱山の土木部門から建設業が、鉱山の木炭・坑木部門から林業が、煙害原因の亜硫酸ガスの無害化から化学工業がそれぞれ派生し、現在の住友各社となった。また、鉱山の城下町には、道路、鉄道、港湾、学校、病院、金融機関、社宅など生きていくための社会資本の整備が着着となされ、それらの施設跡も産業遺産として、海(四阪島)、山(別子)、浜(新居浜)の各所に残っている。
わが国の19世紀末から20世紀にかけての近代化は、欧米列強に追いつこうときわめて急激であった。その結果、われわれに豊かな経済生活をもたらす反面、公害や労働争議といった社会矛盾が生じた。第2代総理事伊庭貞剛は、1895(明治28)年新居浜の銅製錬所から排出される亜硫酸ガスの煙害問題を解決するため、沖合20キロメートルの四阪島に移転を決意する。移転後も煙害は完全には止まなかったため、抜本的対策をとり、また煙害で荒れ果てた別子の山々には植林を敢行した。その後1927(昭和2)年にいたり、別子支配人鷲尾勘解治(1881年から1981年)は、別子の鉱脈がつきはて、長年恩恵を受けてきた新居浜の町がゴーストタウンになることを恐れ、都市計画を策定した。道路・港湾設備を完備し、鉱山に代わる事業を誘致しようというものであった。現在も新居浜市は瀬戸内工業地帯の中核都市として生き続けている。

端出場の水力発電所跡内部
四阪島の家ノ島に残る大煙突。公害克服の努力を象徴する。
撮影 普後 均
端出場(はでば)水力発電所跡内部
1912年に竣工した端出場(はでば)水力発電所跡内部。
写真提供 新居浜市広瀬歴史記念館

日本近代産業史の証人として

住友化学愛媛工場歴史資料館
住友化学愛媛工場歴史資料館
(旧住友銀行新居浜支店)。1901年ころに竣工した建物。
撮影 普後 均

われわれは別子の植林や、それに埋もれた坑道・煉瓦塀や鉄道跡、新居浜市街地の道路・社宅や港湾設備、あるいは四阪島の洋館や大煙突などに、わが国が産業貿易立国として発展してきた苦難と克服の歴史を垣間見ることができる。産業遺産は、先人の英知と苦難の歴史を学び、将来の糧とする未来への鉱脈である。世紀末を迎えた昨年8月、新居浜市で第1回の近代化産業遺産全国フォーラムが開催された。全国の人々によってわが町の産業遺産をいかに保存・活用し、町おこしに役立て、次の世代へ引き継いでゆくのか、熱心な意見交換がなされた。そして21世紀を迎えた本年4月、旧住友銀行新居浜支店(現在の住友化学愛媛工場歴史資料館)が国の登録文化財に認定された。住友における産業遺産の国指定第1号である。新たな鉱脈づくりへの槌音が、いま確実に響きはじめている。

文・末岡照啓
Sueoka Teruaki
住友史料館主席研究員。新居浜市広瀬歴史記念館名誉館長。1955年長崎県生まれ。78年國學院大學文学部史学科卒業。同年より住友史料館に勤務。主席研究員として現在にいたる。97年より新居浜市広瀬歴史記念館名誉館長を兼務する。

すみともインタビューへ

PageTop