すみともインタビュー 3

社会還元を基本にして

楠公像
楠公像
別子開坑200年を記念して住友が献納した楠木正成像で皇居外苑にある。高村光雲が主任として原型木彫の制作にあたり、別子銅山の純紫銅で鋳られた。しかしながら、当時の日本にはこれだけの大きな像を鋳造する技術がなく、鋳造の制作主任・岡崎雪聲は、研究のため渡米し、苦心の末、1900(明治33)年に完成した。
写真提供 住友軽金属工業株式会社

末岡:

住友は一家族であるという考えがありましたね。

亀井:

基本はやはり住友精神です。第一に信用確実。第二に人間尊重、そして技術の重視。四番目に事業によって国家社会に奉仕をする。この四つが基本精神ですね。もちろん、物を生産することで社会を豊かにする努力はしましたが、もうひとつ、そこから生まれた利益を社会に還元したんです。古い話ですと、別子開坑200年のときの楠公さんの銅像。皇居前に今でもありますね。

末岡:

そうですね。

大阪府立図書館
大阪府立図書館
現在の大阪府立中之島図書館。国指定重要文化財。1904(明治37)年に完成した。古典様式を踏襲した端正なスタイルを有する。竣工当時、多くの人がこの堂々たる建物を見るためだけに来館した記録が残っている。現在も広く一般の人に開放されており、1日平均1400人程度(1998年度)の入館者がある。
写真提供 大阪府立中之島図書館

亀井:

大阪(中之島)の図書館も喜ばれました。普通は金を寄付して、これで建てなさいというでしょう。住友は、東大の辰野金吾の弟子で天才的な建築家だった野口孫市を本社で採用して技師長にし、世界一流の図書館の粋を集めて設計しろと1年間欧米を視察させた。建てたときには世界の工業関係の文献を集めて寄付もしています。私がびっくりしたのは、戦後大阪府立図書館の館長になられた中村祐吉さんのお話です。昭和30年代、図書館が手狭になったので、アネックスをつくるために旧館の壁を破ろうと、大林組に発注した。2〜3日で穴を開けますといったのに、1週間経っても10日経っても穴が開かない(笑)。というのも、煉瓦をひとつずつボルトで締めてあって、つまり完全な耐震耐火の建物になっていたのです。中村館長が感心して「なるほど、見えないところでも手堅い仕事をやるんだな」と。それからオイルショックのあと、安宅産業の−−。

末岡:

安宅コレクションですね。

大阪市立東洋陶磁美術館館
大阪市立東洋陶磁美術館館
1975(昭和50)年に旧安宅産業株式会社が経営危機に陥り、国宝・重要文化財を含む安宅コレクションが散逸の危機にさらされた。文化庁をはじめとする各方面からの要請を受けて、住友グループはコレクションを大阪市に一括寄贈、それをもとに1982(昭和57)年に開館した。近年、韓国陶磁の名品を含む李秉昌氏のコレクションも所蔵に加えている。
写真提供 大阪市立東洋陶磁美術館

亀井:

安宅がつぶれたとき、安宅英一さんがものすごいコレクションをもっていた。国宝も数点ある。当時の大島靖大阪市長が「散逸させたくない。住友銀行が担保に取っているのだから、寄付してくれないか」と。もちろん、それはいい。ただし、われわれもオイルショックで、今は非常に苦しい。しかし数年経ったら回復するから、そのときに寄付しましょうと。それで百何十億円か集めて、住友グループで引き取って、建物(東洋陶磁美術館)もこしらえて、大阪市に寄付した。元東北大学総長の西沢潤一さんが、大阪へ来るたびに必ず見に行くとおっしゃってました。

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